ときめきの記録 ぎゅっと詰め込んで

夢よ覚めないで このまま時間を刻んで さぁ 夢見ましょう

あれから1ヶ月、平成最後の日に綴りたい。

    平成最後に阿部顕嵐くんの話がしたい。

 

正確に言うと、私がこの一か月感じた自分でもびっくりで新鮮な、でももう二度と味わわないだろうから大切にしたい気持ちを残したい。(ので、気を悪くする方もいらっしゃるでしょうが一個人の備忘録程度に、そんなひともいるんだと割り切っていただければと思います。)

 

私はジャニーズ事務所阿部顕嵐くんのことが好きだった。

私は自分が応援していたひとたちが、ジャニーズ事務所を退所する経験を何度もした。自分が応援していた、時間もお金も注いだだいすきな人たちが事務所を辞めてから思うように活動できず、自分たちの才能を無駄にしてしまう様子を見てきたせいか、事務所を辞めないことが私の顕嵐くんを応援する前提だった。つまり、事務所を辞めたらわたしは顕嵐くんのことを応援しないつもりだった。

 

そんな覚悟を持って応援してたんですか!?なんて思った方がいたらそれも違う。というのも私は顕嵐くんは“やめない”と思っていた。彼がジャニーズ事務所に所属するタレントだという肩書を捨てる日など彼に初めて出会った日から一ミリたりとも考えたことがなかった。

 

   2018年のあの日まで。

Love-tuneとして、2017年の顕嵐くんの活動は絶好調だった。二十歳になる前に主演ミュージカル、しかもかの有名な「魔女の宅急便」をこなし、ハタチになるまでの夢だった映画出演も達成。舞台では、映画などで知られる「何者」の舞台も主演を務め、彼が所属するLove-tuneは単独Zepp公演を行うなど、順調そのものだった。

 

少なくとも私にはそう見えていた。小さなマイナスなうわさもわたしはその好調さで叩き潰した、潰せた。

 

だけど、あの春、起こった。ジャニーズJr.専門チャンネルYouTube上に誕生したときになぜかなかった。Love-tuneの名前が。ポジティブな私は「再生回数とか気にしなくていいし、ラッキーじゃん」なんて思うことにした。私はあの時でも「Love-tuneは、顕嵐くんは、やめないから」とかたくなに信じていた。その後横浜アリーナで単独コンサートが行われ、その帰りですらわたしは信じていた。また会えると。

 

でも現実はそう甘くないらしい

 

ものすごいスピードで、あんなに目立っていたグループが表から姿を消した。あんなに個人でもグループでも仕事がいただけたグループが姿を消した。そんな時でも私はまだやめないと思っていた。絶対に戻ってくると信じていた。

 

秋になった。秋も深まった。冬の足跡が聞こえてきた。日も短くなった。寒かった。

 

「退所」の文字は私がちらつかせなくたって世の中のいろんな人がちらつかせていた。SNSの発達により、謎の情報を握る人たちが様々な情報を流していた。何が正解かわからなかった。私が好きな彼は今でも事務所にいるのだろうか と忙しい合間を縫ってなんども調べた。でもそこには噂しか転がってなかった。ジャニーズJr.であるだけでいつ辞めたかもわからないこの状況に苛立ちすら覚えていた。

 

そして気づいたらMyojoのJr.大賞の投票の季節になっていた。

 

ここで名まえを出してもらおうと私以外のファンだって考えていた。

名まえが出ればやめていない。編集者に問いかけても、書いてもかまわないという答えが返ってきた。これしか確認方法がなかった。

 

そんなある日の夜、眠たい目をこすって勉強していた私はTwitterを開いた。私が大好きだったグループの名前がトレンド入りしていた。よく思い返すとあの時ですら、「やっとかえってきた!」と少し思っていた自分がいたように思う。

 

「ジャニーズJr.内ユニット『Love-tune』に関するお知らせ」

 

もうそこからの記憶は特にない。素直にやめたことを受け入れたのかもしれない。ただ、阿部顕嵐ひとりではなくLove-tune全員が退所を同タイミングですることにものすごく救われていたはずである。

 

「辞めた。事務所を辞めてしまった。どんな形で活動していくか興味がないわけではないけど、少なくとも事務所を辞めたんだから私はもう顕嵐くんのことは応援できないんだなあ。最初は興味本心で応援できても長くはもたないし。」

 

と過去の自分と対話した結果の答えが出た。

 

その勘は当たった。

やめたジャニーズJr.がSNSを始めることは最近では当たり前だった(逆に始めてくれないとやめたかわからないなんてこともあるけれど)。そしてLove-tuneだった人たちも始めた。

そのトップバッターが、顕嵐くんだった。Instagram。彼の人柄なら自己プロデュースが可能でいい意味でもファンと距離感のあるInstagramを始めるのは納得だった。けど、やっぱり受け入れられないじぶんがいた。彼の投稿が私個人の趣味と必ずしも合致しなかったこともあり、端的に言えばとりあえず受け入れられなかった。私にとって彼のInstagramは彼から心が離れてしまう要因の一つに惜しくもなってしまった。

 

そしてそのInstagramがきっかけで仕事が入ってきた。

しかも旧メンバーの真田くんと。

久々の表舞台の顕嵐くん、見に行きたいなあと思った。けど、心の距離は思ったよ広く、レポでいいやとかそんな投げやりな状態で申込期限も何もかも過ぎていた。

だってもう彼はジャニーズじゃないから。

 

ついにそのイベントの日がやってきた。わたしは残念なことに予定が入っていてネット配信ですら見れなかったが、どんなことをやったのか興味本位でTwitterをスクロールし続けた。

 

Twitterは怒涛の勢いで更新された。

3/31付で退所の安井くん以外のみんながその場に集まった。

わたしはその字を追うたびに、嬉しいとかよりもまず驚きの気持ちがでてきた。

ただでさえ、やめてすぐの元ジャニーズJr.の、顕嵐くんと真田くんだけが集まってイベントを開けること自体奇跡に違いなかったのに、ほかのメンバーもみんな揃っていい世界線がこの世に存在するの?!?!エイプリルフール早すぎない?!?!と何も落ち着くことができなかった。

結局多分私は自分の過去の経験からものすごく頑固なステレオタイプを自らの心に作り上げていたんだと思う。

そのステレオタイプを思いっきり蹴散らしたのが彼らだった。

 

「辞めたらもう大々的な活動はできない」

 

それはわたしの中での、経験が作り上げた勝手な常識で、そんな常識はいとも簡単に揺らげるものだった。Love-tuneはいつだってロックだった、俺らのしたいようにする、俺らの夢を叶えるのは俺らしかいないからって。それが仇になったこともきっとあるかもしれない。でも、確かにあの日、彼らにはまだそのLove-tuneの頃の魂が残っていた。

 

わたしはその日やっと顕嵐くんのインスタをフォローした。

4/1に「新たな時代の幕開け」というコメントとともに自分のアー写を投稿する顕嵐くんはわたしの好きそのものだった。

 

結局、1ヶ月前のわたしは、わたしが作り上げた常識に縛られて、応援したい自分を封じて応援できないという結論を導き出していたんだ。

 

でもわたしはこうも思う。

 

きっと今も顕嵐くんを応援できるのは顕嵐くんの周りで笑っている人たちの顔ぶれが変わっていないからなんだと。彼らがいなければわたしは顕嵐くんを応援できなかったと思う。結局事務所を辞めたという事実を受け入れたんじゃなくて、まだその事務所にいるんじゃない?なんて心の中のどこかで思えてしまう今の状況がわたしの顕嵐くんを好きだという気持ちを続かせてくれてるのかもしれない。

 

でも

事務所はもちろん顕嵐くんに活動の場を提供してくれる大事な存在だけど、そこはこだわるところじゃない。顕嵐くんは顕嵐くんで、顕嵐くんらしさは何一つ変わらない。だから、辞めたことを受け入れる必要もそんなことをぐねぐね考える必要もない。ただ顕嵐くんが好き!たのしい!それが大事なんだなあと気付かされた。

 

こうやって自分の考えに「でも」をたくさん添えながら私は今日も顕嵐くんのことが現在進行形で大好きだ。

 

顕嵐くんを知って好きになれた平成に感謝して、新たな時代の幕開けを楽しみに待とうと思う。令和初の個人の、グループのお仕事はなんだろう。

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